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福井県にある永平寺へ行ってきました。2012/08/14 12:03 pm

先日、福井県にある永平寺へ行ってきました。
今から約760年前、道元禅師によって開かれた座禅修行の道場です。
残念ながら丁度お昼で修行をされている僧侶の方とは会えませんでしたが、仏殿、僧堂(食事、就寝部屋)、庫院(台所)、東司(トイレ)といった修行をする清浄な場所「七堂伽藍」を見学してきました。
 特に、僧堂、東司、浴室は「三黙道場」と言って一切の私語は禁止されているそうです。
 最初は、全く興味がなかった私ですが、見学し終わった後は、なぜか心が安らいだような感じを受けました。
 私が最も印象深かったのが、道元禅師からのメッセージです。
 全部で14っありますが、その中のいくつかを紹介させて頂きます。

 無常ならざるもの
  生まれたものは死に、会ったものは別れ
  持ったものは失い、作ったものは壊れます
  時は矢のように去っていきます。
  すべてが「無常」です。
  この世において無常ならざるものはあるのでしょうか
 
 どう生きるか
  生まれて死ぬ一度の人生をどう生きるか
  それが仏法の根本問題です
  長生きすることが幸せでしょうか
  そうではありません
  短命で死ぬのが不幸でしょうか
  そうでもありません
  問題は、どう生きるかなのです
 
 人生に定年はない
  人生に定年はありません
  老後も余生もないのです
  死を迎えるその一瞬までは人生の現役です
  人生の現役とは自らの人生を悔いなく 生き切る人のことです
  そこには「老い」や「死」への恐れはなく
 「尊く美しく老い」と「安らかな死」があるばかりです。

ひとの価値
 ひとの価値は、地位、財産、職業に関係ありません
 知識、能力だけでひとを評価すると過ちを招きます
 知識を生かす心と行いこそ大切です
 ひとの価値は、心と行いから生ずるのです

はきものをそろえる
 はきものをそろえると心もそろう
 心がそろうと はきものもそろう
 ぬぐときは、そろえておくと
 はくときに、心がみだれない
 だれかがみだしておいたら
 だまってそろえておいてあげよう
 そうすればきっと世界中の人の心もそろうでしょう

日々、何事にも当たり前と思わず感謝の心を忘れず、今一度、自分の人生を生き方を見直してみようと思えた一日でした。  Y.M
  

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